与一が海に入り矢を放つ時に足場にしたという「駒立て岩」を見てきました。

「サンメッセ香川」で庵治博(あじストーン・フェスタ2017)を見たあと、高松市牟礼町を庵治町方面に向かっている途中、「那須与一扇の的」の案内板を発見。

源平合戦の古戦場跡を見ることができるのでは、と早速、行ってみました。

与一が海に入り矢を放つ時に足場にしたという「駒立て岩」が今でも保存され、「手招きした平家の女性と扇の的」が想像できるような表示もありました。

日常をしばし離れ、時空を超えて今から830年前の大昔を偲ぶことができました。

これは「平家物語」に出てくる有名な話です。1185年2月19日夕刻、沖にいた平家軍から一艘の小舟が陸の源氏軍に近づいてきます。

舟には、紅地に金の日輪を描いた扇を先端に挟んだ竿を持った女性が乗っていました。

「この扇の的を射よ」という挑戦です。義経は、弓の名手、那須与一に「真中を射よ」と命じます。的までは約70m、北風が激しく吹いていたにもかかわらず、与一の放った矢は的の要近くに命中。扇は空高く舞い上がりひらひらと海に落ちていきました。

源平両軍は、歓声を上げて褒めたたえたそうです。 

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